hirunireの庭

日記、詩(のようなもの)。

われわれは、たやすく歓び絶望する

翌朝には、絶望するより先ず先に飛び込んでくる朝陽に世界は絶望するより美しいと、どうせ悟るのに訳もなく涙が出るのは、まだわたしがなにも知らないってことなのだろうか?

 

朝を諦めない人になる、その長い夜に耐えられるだけの鈍さを今では愛おしいと思う。完璧ではない人生を何杯の紅茶で染め上げれば好きになれる?

 

浅くなる呼吸と乱高下するわたしの気分。

いつか、この今を何度も反芻することになるのだろうか。いつでも今でもお腹いっぱいにして眠りたい。この今を。それは良くないことだと知っているけれど。空腹に耐えられる程の気概がいまはない。だから、眠る、聴く、読む、書く。たぶん、それが生きるってことだから。大丈夫、ちゃんとうつくしいよ。

 

 

ピルとソフィスト

いまはピルの休薬期間で辛かったので仕事を休んだ。いつまで何と何の調味料がかけ合わさっているのかもわからないごはんを3食食べその日を繋いでいくのだろうと思った。味覚の解像度が下がってぼやけたまま、このまま一生この仕事がつづくの?って思った。泣いてもどうにもならない、何も変わることはないという当たり前のことに26歳の終わりかけに否応なく気付かされるなんて、わたしはほんとうに馬鹿だと思う。今まで自分を守ってくれていたその手と手を、お盆なら握り返してもいいかなって思えてきている。恵まれていたことは正直わたしの才能だけど、足るを知ることだって才能だと思う。天井の広い家にも所詮天井はある。わたしはロアルドダールの作品に出てくるガラスのエレベーターが好きだった。いまならどうしてエレベーターがガラスなのか分かる気がする。空間へ向けられる眼差しにターミナルがないということ。見えることはひとつの道具で、その眼鏡をかけてわたしは何かを分かった気で居られる。対していまは森を見ないでひとつの木をずっとみている気分。窮屈だし、馬鹿げている。その茶番を一生(一生?)演じ切れる?

悩みながら生きていくことってそんなに許されないことなのかなってりゅうちぇるのニュースをみて悲しくなった。人の前に出るからといって人生まで完璧になんてしなくていい。求められた役割を果たさなくても生きているというそれだけでひとは、充分うつくしく魅力的な存在なのだから。悩みながら、どっちが前かわからなくなったり立ち止まったとしても、それでも夕陽がきれいとか好きなバンドの新譜が特別だったとか、そういうことに救われたりする瞬間はかならずやってくる。そういうことをずっと考えているし、友人達には繰り返し伝えている。そんなに窮屈なところに慣れないで。

日記

6/10

 昨日行ったライブの高揚感がさめないままにホテルのベッドの中でミツメを聴いていた。大学2年生だった2016年の一番音楽を聴いていた時期にミツメを知った。当時はサブスクが日本に入ってきたばかりで、バンドをやっている知り合い以外に契約している人はいなかった。

 その年のクリスマスに初めてミツメを観た。その時わたしは報われることのない恋愛をしていた(後にわたしは精神病院に入院することになる)。そんな時に「タイムマシン」を聴いた。この曲に出会えたことが今の自分を支えてくれていると思う。

 そんなことを回想しながら昨日は退勤後すぐに走って電車に乗ったのだった。初めて行った東京キネマ倶楽部は思っていた以上に素敵な場所だった。音楽に揺られている間、7年ぶりにミツメの音楽を目の前にできたということにえらく感動していた。療養していた間、サブスクで何度も何度も聴いていた曲たちが目の前で生き物みたいに鳴っていたから。「チョコレート」は甘い要素がひとつもなかったけど、すごく美しかった。最近は仕事に忙殺されていたから久しぶりに楽しいって思えた。

 昨日買ったTシャツを着てなんとなく神社に向かった。願い事が叶うことよりも、願い事を自分のなかでまとめる方が大事だと思う。すべて見透かされているようなおみくじの文面に驚きつつ、当分は仕事を頑張ろうと思った。

 モスバーガーに入る。海鮮かき揚げバーガーがいつもより美味しかった。

f:id:hirunire:20230611191414j:image

 

キッチンに立つ

この前、友人宅のキッチンをかりて久しぶりに料理をしたら、なんだか自分の作ったごはんの味以上に自分で作ったという事実が心地良くて、次の日にフライパンと包丁を買いに行った。職務上あまり料理ができない環境に住んでいるけれど、規範の中での自由の縁をいくらでも広げていける、そういう自分の軽さを好きでいられるから毎日がんばれるみたいなところはある。今日は母がひとり暮らしをしていた頃によくつくっていたらしい料理を作った。ピーマンと茄子とウインナーの炒めもの。高校の頃からのお弁当にほぼ毎日入っていたからその料理の味が、わたしはなんだかホッとする。吉本ばななの『キッチン』に包丁の話が出てくるところを、なんとなく最近よく思い返したりもしている。わたしは自分のためのひとりぶんのごはんを作るのが大好きで、そのことが自分を生かしてくれている。だから料理って大切だったなって思う(もちろん、洗い物は別!)。週末くらい好きなものをたべたい。

春永に

住み慣れた町を離れて、なんとか一週間が経つ。職場の規則が厳しくて、なかなか眠れない日が続いていた。生まれてから初めてのフルタイムの仕事だから、と頑張ろうとする気持ちもあるが、もうわたしは無理はできない身なのだということを毎晩服薬する度に否応なく感じさせられる。大丈夫。きっと、日を追うごとにこの日常に慣れて休日に好きな場所、好きだった空気を吸えるようになるのかもしれないという希薄な望み。わたしの町では初夏に咲く花が、こちらでは誰にも振り返られることもなく咲いていたりもする。咲いているのに振り返っていないのはわたしの方なのかもしれない。