hirunireの庭

日記、詩(のようなもの)。

ドミノ倒しの様にあっという間に雪が解けて、霞んだ緑が起き上がる。風が起れば舞う砂嵐に背中を押され、焦らされる。泥水を避けて歩く。つい最近まで薄氷に覆われていたそれらが全て最初から何もなかったかのように干上がっていく。北の春には桜はない。わずかな変化が日常の不便を冬に置き去って、雪解けの水がものすごい速さで小川を流れていく。とても着いてはいけない速さで。春は、ただ春だからとその訪れにすべて自分が肯定されるような気がする。陽が長くなったからかな。

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今日は元旦でただの日曜

 


生温かい夢を見させてくれる音楽にいつまでも浸っていたい。記憶のなかの人々は、雑踏の中にいて此方を見ている。わたしも誰かの記憶にいるのかちゃんと不安になる。でもきっと居る。だって居たことには代わりはないから。Alright。極めて個人的な感情を抱く人間のことが愛しい。自分の言葉で話せる人間に出会ったら、どんな顔をして言葉を繋げば良いのかわからなくなる。それは言葉を失ったような感覚で、知っていることがまるで意味をなさなくなる。そういうことって実際に自分の身に降り掛かるまで気が付かないことばかり。今の今まで馬鹿にしていたのに、可笑しいね。わかり合うことは難しいことなのに、其れでも他人をわかりたいし他人に伝えたいのは多分その人が好きだからなのかもしれない。いつまで続くかわからないその不埒な会話を好きでいる自由ぐらいはある。今日は元旦でただの日曜。

12月

 

 言葉に対して自分が従属していたことに気が付く。何に対しても紋切り型の相槌しかしなくなった。限られた語彙の中、感情の選択肢、そして最後に着地する幸福で希薄な希死念慮。取って付けたような逆接の接続詞(それでも、)でなんとか持ち直す。求めれば大抵のものは手に入るけれど、心のすり減った部分と失った時間はもう元通りにならない。いつまでこんな感じなんだろう。知らないけど。

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思い出は一瞬なのに一生ついてくる

 

好きだった人の残影はとうに忘れたつもりでいた。ふとしたときによみがえってくる温度や声が、時計を狂わせてしまう夜に何度も何度も思い返す。第三人称になって不完全な反芻をしてみたりもする。衝動で連絡をとって擦り切れたテープをすべて今のものにして再生させてみたくなる。ただ、もうその頃にはすべてが巻き戻しの効かない一本のテープがあるだけだ。ましてや再生機器すらこの世にはもう残っていない。思い出なんていうものは、結局自分だけが覚えていることで、他人にとってはすぐに忘れ去られてしまう、風の前の落葉みたいなものなのだと。そして、わたしが好きだったのは君の過去であり今の君ではないという事実が、いっそうわたしを苦しめるのです。君の未来からわたしが突然消えても、読みかけの小説を旅先で紛失するような簡単にまたすぐに新しいものを注文すれば替えが効くようなものなのでしょう(はじめから)。そうして街を、駅を、インターネットを、涼しい顔をしてサバイブしていく。それが正しいことだとわかっているし、そうしなくては生きて行けないことだってとうの昔からわかっている。もう点で交わることのない擦り合いだって何の呼び水になることもない。だけれどただ在った、その事実に何年経っても心が揺れるのは、きっとわたしが人間だからだ。そして、この一生の内にもう二度三度と同じ間違いをしてみたいからだ。思い出は一瞬なのに一生ついてくる。

猫とアレルギー

久しぶりにiPodの電源を入れたら、きのこ帝国の「猫とアレルギー」が入っていて、私だなと思った。その曲を知った当時は文字通りのどん底にいて、その曲に自分を投影して涙を流していた。今となってはその頃眠れなかったのは、きっと眠りたくなかったから。意味もなくだらだらと過ぎていく時化ているTwitterのタイムラインみたいな大学の春休み毎日、その日その日に満足することが出来なかった。相手がいる恋愛はわたしには難しすぎたのだと思う。ひとつの恋も長い時間をかけて地面の土と混ざり、完全にアスファルトに覆われる土砂となった。これから自分に恋のひとつがあるとしても、あんな恋愛はもう出来ない。それにはわたしは歳をとってしまった。興ざめしてしまうほどに分厚いアスファルトを自分で敷いた。好きだった人にもう触れられないことを残念に思う必要がないくらいわたしは強くなった。恋だけではない、眠らないのではなくほんとうに眠れない日々も乗り越えた。だからわたしはもう、きのこ帝国の「猫とアレルギー」を聴いても泣いたりしない。もしも、忘れてしまった傷みをまた思い出したら、またこのiPodの電源を入れて、今みたいに懐かしむだろう。

頼りない天使

 

 


頼りない天使はネルシャツを着ていて

寝癖のままコンビニで煙草を買うらしい

今の今まで卵も割れなかった天使は

すぐに忘れられてしまう意味のない

言葉を沢山持っていて

人間の世界にかろうじて溶けこんでいる

ときどき寂しくなって空の写真を撮る

 


頼りない天使にもガールフレンドは居て

愛おしいまなざしで交わしあう

ふたりにしか理解らない挨拶を

寝る前に大事に 

大事にひとりで反芻する

長風呂は旅、湯舟は車窓。

働きはじめてから、日曜日はなんにもしない日だということにしている。休みの日だから、晴れているから、と無理に出掛ける必要もないだろう。堂々と休み、シーツを洗濯して、育てているサボテンの写真を撮る。最近は暑い日が続いているから入浴は朝晩にサッとシャワーを浴びて済ませていた。暑いから湯舟なんて、と思っていたがバブのメディキュア(入浴剤)を職場の近くのコンビニで一個売りされているのを発見して試しに、とお風呂を沸かしたのが二時間前。それから今までしっかりと洗い流して、ゆっくり湯舟に浸かった。簡易な脱毛もした。そうかと思えば、髪の毛にはトリートメントを塗りこんだ。入念に。

 

わたしは長風呂はひとつの旅だと思う。防水スピーカーから流れるラジオは時間が経つのを簡単に忘れさせてくれる。たくさん汗をかいて、髪を乾かし、風呂上がりによく冷えた麦茶を飲む迄のひとつの旅を、湯舟に反射する照明に揺られて過ごすのだ。長風呂は意外と体力が要るが、あとは眠るだけだと思ったら幾らでも浸かっていられる。

 

わたしの休み方が正しいとは思っていないが、それでも自分の最適解がこの日曜日なのだ。

 

この眠る前までの一連の旅はきっと、明日をいつもと違う どこかへ連れて行ってくれるのではないだろうか。否、そうに決まってる。

 

長風呂は旅、湯舟は車窓。

 

https://youtu.be/INACMjbliIc