hirunireの庭

日記、詩(のようなもの)。

いつ起こるかわからない地震に、わたしたちはいつまで怯え続けなければいけないのだろう。元旦。テレビやタイムラインから流れる速報に不安が鮨詰めにされて死へと向かっている感覚。「ただちに」とか「なりふりかまわず」といった言葉が目に入り、2011年と同じことがまた繰り返される、広告の不在。そして壊れたように壊れていないテレビが鳴る。また、まただ。わたしはあの時と同じ、安全なところにいてニュースが伝える“数”が増えないことを祈ることしかできることがない。ほんとうは数ではなくひとなのに。

 冬の日本海はつめたくてたまらないのだろう。そんな温度に引き摺られて同僚が濃紺の海へ消えていっているかもしれない可能性があることに心臓を握り潰されている。今。17:06

 

 なんとか同僚は短パンのまま逃げ、生き延びた。無事だった。よかった。こころから思った。18:06