hirunireの庭

日記、詩(のようなもの)。

10/18

津野米咲さんがわたしの世界から席を外して3年が経った。わたしは赤い公園の熱心なフォロワーではなかったけれど、今年2回失恋してから赤い公園の音楽に救われている。文字にすると淡々とした事実だけれど、わたしは簡単に人を好きにならないから結構来るものがあった。それは文字通りわたしの社会に於ける属性に起因するものであり、わたしの不埒な態度に起因するものでもあった。今日は仕事中に気が触れてしまうことがあって誰にもバレずに頓服薬を飲んだ。いつまでも追いかけてくる幽霊みたいな好きだった人の幻影の代わりに津野米咲さんが付いてきてくれたら良いのに。こんなにわたしの味方でいてくれて、自立する理由になる音楽は他にはない。メロディーにときめいたり、歌詞の主語がバカ大きくて元気が出たりする。3年。この3年。もう津野米咲さんの手掛けた新譜を聴くことができないことが、もっと、なんか、作りたい歌があったんじゃないかって思ってもうなんか祈ることしかできない。希死念慮って突発的だし条件が揃えば本当にその気になってしまうと思うから、少しこわい。だから、つらいって言える人をちゃんと選ぶ。他人の器に水が飽和していたら溢れてしまうだろうし、そもそもその器が満ちていることに気が付いていない人に、溢れることがわかっていてそこに水を注ぐのは酷だと思うから。大人になると、いつも大丈夫みたいな顔でいなきゃいけないみたいな空気感が共有されているけれど、わたしはそれを強いられているみたいで苦しい。大丈夫じゃないときは隣にいてくれなくても話をしたい。それが大人の態度じゃないって、我が儘だって、とっくに知ってる。