hirunireの庭

日記、詩(のようなもの)。

ピルとソフィスト

いまはピルの休薬期間で辛かったので仕事を休んだ。いつまで何と何の調味料がかけ合わさっているのかもわからないごはんを3食食べその日を繋いでいくのだろうと思った。味覚の解像度が下がってぼやけたまま、このまま一生この仕事がつづくの?って思った。泣いてもどうにもならない、何も変わることはないという当たり前のことに26歳の終わりかけに否応なく気付かされるなんて、わたしはほんとうに馬鹿だと思う。今まで自分を守ってくれていたその手と手を、お盆なら握り返してもいいかなって思えてきている。恵まれていたことは正直わたしの才能だけど、足るを知ることだって才能だと思う。天井の広い家にも所詮天井はある。わたしはロアルドダールの作品に出てくるガラスのエレベーターが好きだった。いまならどうしてエレベーターがガラスなのか分かる気がする。空間へ向けられる眼差しにターミナルがないということ。見えることはひとつの道具で、その眼鏡をかけてわたしは何かを分かった気で居られる。対していまは森を見ないでひとつの木をずっとみている気分。窮屈だし、馬鹿げている。その茶番を一生(一生?)演じ切れる?