hirunireの庭

日記、詩(のようなもの)。

2025年1月18日-1月22日の日記

2025年1月18日

 

14時から大学の先輩とPodcastのお誘いも含めてFaceTime。屈強な飼い犬を見せてもらった。大人になるって素敵なこと。屈強な犬の猛烈なエネルギーを全身に受けている先輩の猛烈なエネルギーに圧倒され、プールに行くことに決めた。

 

15時半、15年ぶりにプールに入水。いきなり個人メドレーをやろうとするが15mでバテた。その後2時間ほどウォーキングエリアで同じおじいちゃんを追いかける。こちらがスピードを上げるとおじいちゃんはうれしそうに焦るからなんだか楽しくなってきて気がついたら2時間経っていた。そうして泳げるかもと思って自由遊泳コースでクロール。50m泳げた。背泳ぎが今のところ一番得意。平泳ぎは犬かきになってしまう。バタフライは無理でした。サウナに入ったらさっきのおじいちゃんがいてにこにこしてた。機嫌が良いというだけで運も品もよく見える。見習わなくては。気を長くして。

 

1月19日

夢にgroup_inouのimaiさんが出てきてガチ恋してしまった。黄色いダウンだった。

 

1月20日

Twitterにクレーの『憩えるスフィンクス
(Siesta of the Sphinx)が流れてきて好きな絵だなぁと思った。その後、ホールドオーバーズとパーフェクトデイズを立て続けに観て、家に居ながら贅沢な日となった。やっぱり起きた後布団は畳まないといけないんだ。朝ごはんにたまごを食べなかったから一日中元気が出なかった。朝ごはんの最適解がわかった、納豆と味噌汁と目玉焼きがいちばん良さそう。あと明太子なめ茸。髪が伸びてきてやっとポニーテールができるようになったんだけど卓球部の女子中学生みたいになった上、ポニーテール部分の触感が「筆」。寝る前に町田町蔵INUを聴いていた。入眠に失敗。眠れなくてかなりダウナーな気持ちになる。いつもなら夜泣きに落とし込んでいた眠れない気持ちと眠れない間に脳内を巡っていた悲しみをメモ帳にぶつけたら短歌15首できた。以下15首。

 

好きだった、好きだったわたしごと春巻きみたいに揚げられたらなあ

 


液晶をなでて登場するカスタード程は甘くはない「いつか」

 


ついさっき伝えたかったことがあり伝えたかったよって思った

 


簡単にインターネットの人と会い簡単に手を繋いだだけだ

 


春巻きには丁寧に塩が振ってあり急スピードで現実に戻る

 


出社して太陽が隠れ退社してその繰り返しをまともと呼ぶのか

 


永遠とか一生とかいつまでも言っているから脱線したんだ

 


あなたならダメって言ったことをカタログみたいに注文しよう

 


引き際が大事という人に問う何故返信を返さないのか

 


この人が王子様って思うたびアプリの中をわたしを変える

 


暇だから最後に会った時のことずっと思い出してるままだよ

 


乗れなかったジェットコースター乗らないと決めたのもわたしだ

 


振られてもずっと心の中にある鍵の引き出し柔らかいまま

 


続けることがつらかったから止めたんだあなたのことは保留にしてた

 


会いたいと思ってみても忙しいふりをするなら地獄行きだよ

 

ここまで書いて、(おいお前、短歌にするぞ)と思いながらマッチングアプリをスワイプしたり、夜中に泣きながらメモアプリに短歌を打ち込む自分が怖すぎてちびりそうになった。その後の記憶がなくて朝になってたから眠れたんだと思う。

 

1月21日

朝起きたら画家をやっている知人から高校時代INUを狂ったようにコピーしていたと連絡を受ける。狂っている動画を教えてもらった。

午前中に図書館に行って町田町蔵の『つるつるの壺』など9冊を借りる。時間があったので朝日新聞日経新聞を読んだ。世の中では色んなことが起こっている。諸行無常という言葉では片付けること困難。

 

1月22日

とにかく暇。やることを考えることも億劫。お茶を飲んだらノイローゼから脱出して埃をかぶったポータブルラジオを点けて地元のAMを聴いた。もう雪割りをしている家庭があるみたいだ。今年は雪が少ない。昨日借りてきたオースターの文庫を読む。柴田元幸さんの翻訳で読めるのが嬉しい。途中から登場人物を把握するのが困難になってしまった。その後町田町蔵の本を音読していたら自分もそういうパンクの精神が声に宿ってきてどこまでもいけそうだった。気がかりだった年配の知り合いに電話。病院通いで忙しいみたいだった。わたし以外みんな忙しい。はやく生活の基盤である仕事を見つけなくてはと思った。そんなこんなで母と夕食を外で食べることにして食べた。食べ終わってホルモンバランスが大暴れして母が死んだらどうしたら良い?って母に聞いていたらどんどん涙が溢れてきてそこがサイゼリヤだったのに泣いてしまった。その後父も交えて具体的な話をする。この家から将来的には出て行かなくてはならないこと、仕事を見つけて生活の礎をつくること、成年後見人をどうするかなどそんな話をした。11月に仕事を辞めてから生ぬるい断捨離をしていたが、家を出るとなるとやはり大方のものは捨てるべきであり、しかし最初からそういうつもりで断捨離をしていれば良かったと思った。眠る前に部屋を見渡して、部屋に対して「ごめんね、ありがとうね」と思った。部屋のクワズイモはもう今年で5年目とかで、芋の部分が増えていて成長しているんだと思った。仕事を見つけたら、うまく水やりができるか心配だ。

2025年1月7日の日記

朝のうちに一回起きたけど朝ごはんを食べる気分になれず大人しく自分の部屋に戻って寝る。37.6度だった。1/2の夜から体調はこんな具合で、病院には行っていないが多分インフルエンザだと思う。11:20、大きな咳とともに黄色い痰が出てウォー!と思った。なんのウォー!かはしらない。起きたら父と母は病院に行っていた。ごはんとコロッケをチンして食べた。コロッケがカニクリームコロッケだったのを失念していたので、いきなりかぶりついてあまりの熱さに目が覚めた。誰にも見られなくてよかった。また眠って、15時くらいに起きて母に「冷蔵庫に豆腐あるから」と言われ、ぽやぽやの裸眼のままあごだし汁とチューブの生姜をかけて豆腐を食べた。また眠って、喉が乾いたので起きて水分補給と加湿器の水を補充した。iPadYouTubeをひらくとinliving.の動画が上がっていたので観た。なんだか元気になってきた。このあたりから熱が平熱近くになった。冷静になって考えてみると、本当だったらわたしは今日から京都旅行へ出掛けていて札幌にはいないことになっていたのに、と悔しい気持ちになっていた。だけど、旅行をキャンセルして浮いたお金で住民税のⅣ期の支払いが無事に終わると思ったらなんだか体から背骨がすっと抜けていくような気持ちになった。さっき観た動画で紹介されていたプロテインのコーンスープをAmazonで調べる。3700円。ちょっと悩む。まだ買わなくてもいいかも。17:30、鼻水が止まらない。目立った症状が鼻水と痰になってきた。嬉しくはないけど元気になったら何をしようか考えを巡らすことが出来るようになった。ほとんど元気かも。辛い四川麻婆豆腐が食べたい。四川中華の赤い油ってなんであんなにおいしいんでしょうね。歯磨きをしたとき、母に「元気になったかも」って言ったら「お母さんも✌🏻(ピース)」って笑ってたから私たちどこまでも行けるねって思った。子どもの頃、エトピリカという鳥を見てみたかったことを思い出す。来月あたりオホーツクの方行かない?って母に訊いたら「クソ寒いのに何?行かないよ!心臓凍ってしまう」って言われた。どこまでもは行けなかった。寝る前に熱を測ったら37.4度だった。POPEYEの新しい号をはやく買いに行きたい。元気にならなくちゃ。デューティーフリー!

十二月の日記

 地下鉄のターミナルから地上へと繋がる階段をひとつの方向にむかって駆け上がる。頬を撫でる冷たい突風が下へ下へと吹き抜けていく。北の十二月。

 札幌という街を離れてはじめて灰色の天気を愛おしく思えたような気がする。凍てつくような寒さの大粒の湿った雪、強い風をかき分けるようにして目蓋をあけてもなお、家にたどり着かない困難を忘却したとき、この街をいつくしむことができる。

 visitorにとって綺麗事、この寒さも雪のきらめきも。今わたしが懐いている思いもすべて綺麗事だったらどうしよう。ドーナツのように空洞の街。

 

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 雪、それは音を吸収する。吸い込まれていく音はどこへ行ってしまうのだろう。春を迎えたチューリップの栄養になっていたらいい、と思う。なり果てる、失くなる。また巡る。極端な季節を行ったり来たりしたその先に、わたしの望む暮らしはあるのだろうか。いつか。

 

いつ起こるかわからない地震に、わたしたちはいつまで怯え続けなければいけないのだろう。元旦。テレビやタイムラインから流れる速報に不安が鮨詰めにされて死へと向かっている感覚。「ただちに」とか「なりふりかまわず」といった言葉が目に入り、2011年と同じことがまた繰り返される、広告の不在。そして壊れたように壊れていないテレビが鳴る。また、まただ。わたしはあの時と同じ、安全なところにいてニュースが伝える“数”が増えないことを祈ることしかできることがない。ほんとうは数ではなくひとなのに。

 冬の日本海はつめたくてたまらないのだろう。そんな温度に引き摺られて同僚が濃紺の海へ消えていっているかもしれない可能性があることに心臓を握り潰されている。今。17:06

 

 なんとか同僚は短パンのまま逃げ、生き延びた。無事だった。よかった。こころから思った。18:06

 

いまガザで起こっていることはわたしがいくら考えようとも理解することのできない深刻さであると思う、或いはつらいと思う前にいのちが奪われてしまう。そんなに簡単に人が死んでいく姿を見ていながら殺戮が実行されてしまうことを思えば人間が残すことができるのは骨と言葉だけなのかも知れないと思う。最後に残った言葉が伝播し戒律をつくり殺戮が生まれるならば、その言葉は神ではなく客を喜ばせるだけのソフィストの小手調べ。そんな体裁だけ整えられたプレイに多くの人がいのちを奪われるなんておかしいと思いませんか。

decaying

 

 

 

 

留めておきたい感情が誰の言葉にも当てはまらなかったら流れる日月だけが平等に記憶を腐らせることになっている。細胞が、葉脈が、まるっきり入れ替わる頃には私はひとつの葉となって風の中を舞うだろう。塵と等しくなったというひとつの事実に香りづけをして、ティーカップスリランカの夕陽の色に染め上げる。そうして、私は愛がするのと同じ様にそっくりそのまま循環していく。誰の腕からもすり抜けていく私を私は祝福しながら、今までしてきた我が儘に蓋をする。清算が天秤にかけられる頃には私はふやけてひとつの出涸らしとなり、なんの役にも立つことはない。文字通りの屑として土の一部に成り果て腐った果実を飲み込んでいく。理由もなく私はそれを祝福する。忘れ物のない旅行なんてない様にこの世界にひとつ、残して、螺旋階段を駆け降りる。わざと足音を立てるのは、君に気づいて欲しいからだよ?

10/18

津野米咲さんがわたしの世界から席を外して3年が経った。わたしは赤い公園の熱心なフォロワーではなかったけれど、今年2回失恋してから赤い公園の音楽に救われている。文字にすると淡々とした事実だけれど、わたしは簡単に人を好きにならないから結構来るものがあった。それは文字通りわたしの社会に於ける属性に起因するものであり、わたしの不埒な態度に起因するものでもあった。今日は仕事中に気が触れてしまうことがあって誰にもバレずに頓服薬を飲んだ。いつまでも追いかけてくる幽霊みたいな好きだった人の幻影の代わりに津野米咲さんが付いてきてくれたら良いのに。こんなにわたしの味方でいてくれて、自立する理由になる音楽は他にはない。メロディーにときめいたり、歌詞の主語がバカ大きくて元気が出たりする。3年。この3年。もう津野米咲さんの手掛けた新譜を聴くことができないことが、もっと、なんか、作りたい歌があったんじゃないかって思ってもうなんか祈ることしかできない。希死念慮って突発的だし条件が揃えば本当にその気になってしまうと思うから、少しこわい。だから、つらいって言える人をちゃんと選ぶ。他人の器に水が飽和していたら溢れてしまうだろうし、そもそもその器が満ちていることに気が付いていない人に、溢れることがわかっていてそこに水を注ぐのは酷だと思うから。大人になると、いつも大丈夫みたいな顔でいなきゃいけないみたいな空気感が共有されているけれど、わたしはそれを強いられているみたいで苦しい。大丈夫じゃないときは隣にいてくれなくても話をしたい。それが大人の態度じゃないって、我が儘だって、とっくに知ってる。