hirunireの庭

日記、詩(のようなもの)。

茶店の料理(のようなもの)に手をつける度に、もっとまともな人生があったはず、とか思って窓の外 遠くを見ていた頃が懐かしいくらい。働きはじめて時間の流れる緩急をうとましく思ったり、“まとも”な職場にいる人たちに愛着が湧いたりしている。働くということは、自分に合っている仕事だとしても心身をすり減らしているということ。だから、休むことも、もうちょっと上手くなりたい。水遣りは真夜中だけれど、部屋の観葉植物たちがちゃんと育って新しい芽を出してくれて嬉しい。これは本当にこころから思っていること。朝にカーテンを開けることも、朝食のごはんにふりかけを食べることも、ままならなかった日々のことを思い返しては、よくここまで“矯正”された、と自分に感心する。爪になりきれなかった甘皮が伸びてきて、或いは職場の玄関に緑色のネットをかけてあるゴミたちを見て、(自分だ)と思ったりするけど、それはきっと使い古された文脈なのだろうと。本気でそれを考えたりする必要などない、悲しむ必要もない、ただ、味がついているからと感傷に浸るくらいの自由はあっても良いだろう。最近は本も読まずに自分は一体どうして生きていっているのか不思議だ。短歌もひとつも詠んで居ない。これからどんな日々になるのかもわからないでいる。ただ、ちからを抜いて生きていきたい。

 

僕は僕で君は君で らしくいきましょ

うまい話なんてできないけど

   ラブリーサマーちゃん「LSC2000」

 

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