hirunireの庭

日記、詩(のようなもの)。

二月

降っているというよりも吹いている雪に身をさらして歩いていると、寒さよりも痛さを感じるようになってくる。ここは札幌、いまは二月。

 

あと1ヶ月半くらいで冬は終わるけれど、わたしは何か思い出をつくれただろうか。詩の世界では冬はさびしいものだけれど、今シーズンはあえて楽しんでみようと意気込んでみた。だけれど、布団から出られただけで、今のわたしには充分すぎるくらいのタスクなのであった。

 

年中通して同じ土地にいると、二月がやっぱりいちばん寒い。いやおうなく寒い。しびれる程きびしい寒さだ。手袋を忘れた日なんかは最悪で、外から建物の暖房にあたったと同時に真っ赤になる。しもやけ。だけれど、いまはマスクをしているから、一枚扉が目の前にあるみたいで少し頬が痛くない。きっとわたしはコロナ禍が終わってもマスクをしているのだろうなと思う。

 

寒い寒い言っても、冬は夏とは違って道が雪に覆われるのがおもしろくて好きだ。夏の街が現実なら、冬の街はどこかファニーな非現実のようだ。車に乗っているとそれが顕著に現れてくる。道がガタガタしていて、ジェットコースターが落ちる前ぶれみたいなところがある。Otis Redding“Can't Turn You Loose”のガタガタ具合と同じで趣きがある。とはいえ、事故と外出は紙一重なので、とても危ない。

 

今年は雪が多かった。本当に多かった。雪かきをしている身からすると、降る雪は綺麗なものではなく「暴力」。ただそれに見えてくる。現在進行形で降る雪に対して、むかえ討つのはただ雪かきをすること。それしかないのだ。

 

こうしてみると、関東に行っていた大学時代の4年半が嘘みたいに自分は本当の道民になったのだということが嫌ほどわかって納得せざるを得ない。冬のJRも、バスも両方経験して、不便さを受け入れていくことを分かり始めた。大人になるってどういうことなんだろうね。

 

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